ロイヤルマイルを早足で下っている。昨日入り損なったホリールード宮殿に今日はなんとしても間に合わなくては。1マイル(約1.6km)のメインストリート、ロイヤルマイルの中間にあるホテルを出るとしばらくは観光客が目立つが、下るにつれ地元の人とおぼしき人たちが普通に歩く姿を見かけるようになる。坂の途中に学校や教会、降り切ったところにスコットランド議会があるからだろう。そして議会の建物の前の交差点付近で急に視界が開けた。
通りの向こうがわは左手にホリールード宮殿、その手前にクイーンズギャラリー、そして右手には昨日と同じように巨大な死火山の丘ソールズベリー・クラッグスがそびえていた。交差点を渡って正面の王室美術館クィーンズギャラリーに入る。落とした照明の館内ではパンツスーツの女性達がキビキビと働いていた。受付で宮殿との共通券を買うと、
モダンな木造りのてすりがゆるやかにカーブする階段をを上がり展示室へ向かった。
ここはイギリス王室の保有する珠玉の絵画や工芸品の宝庫だ。レンブラントなどのコレクションの他に、ヴィクトリア女王を始め王族が使用していた家具や宝石箱なども見ることが出来る。展示室はブルーの壁紙で落ち着いた書斎を思わせた。
ひときわ目を引くのは王族の女性がロシアなど他国の職人に作らせた工芸品の数々だった。ビクトリア女王のものとある卵型の宝石箱は特別可愛らしい。中心部分の楕円の枠の中に、細かい正方形のモザイクで赤や紫の花と緑の葉が描かれている。4つの楕円はぐるりと卵を周り、上下は直線と波模様で構成されていた。豪華版イースターエッグといったところだ。
部屋を進むと家具やステッキなどの展示が並ぶ。いずれも木製の重厚な感じのもので、北方の王室にふさわしい。もう少し行くと絵画コレクションもあり、おなじみレンブラントの作品は自画像ではなく襟にレースをあしらった高貴な人物の肖像画だった。例によって暗い背景に憂いを帯びた表情で、展示室に入ると何か気配を感じ、ああまたここにもあったと思わせる画風だった。
小規模だが中身の濃い展示を堪能すると、いよいよ隣のホリールード宮殿に向かった。鉄格子の外門を入ると広場になっていて、中心にモニュメントを頂いた噴水がある。それが積年の黒ずみで重厚さがいや増し、いかにもスコットランドらしい無骨な感じが漂っていた。女王の滞在時にエディンバラ市長が鍵を渡す「鍵の儀式」がここで行われるそうだ。観光客もちらほらいたので写真を撮ってもらう。寒いと思い昨日買ったタータンのマフラーを巻いてきたのに眩しいほどの日差しだった。
いよいよ宮殿に入場する。観光客に一般公開されているが、500年以上の歴史を
誇る現役の王室の施設だ。エリザベス女王が夏にスコットランドに来たときはここに滞在し、非公開となってしまう。イタリア人画家によるフレスコ画に囲まれた大階段が、見学コースの上階にあるロイヤルアパートメントへいざなう。
まずダイニングルームがあった。音声ガイドから、女王のもてなしの様子やエディンバラで作られたという銀器の食器セットの説明が流れる。ペールグリーンの壁紙の突き当りにキルトの正装に身を包んだ王族の肖像画がある。英国の国柄からか、高価だがけして華美ではない内装だった。大陸の国々の宮殿装飾が権力を誇示するためにぜいを尽くし演出するのとは対照的で、ある種閉鎖的な感じも受ける。それが日本人の目にはかえって好ましく落ち着いた雰囲気を醸し出しているのだった。
ここから先は謁見や叙勲に使われた部屋が続く。いずれも落ち着いた木製のつくりに手間のかかった大きなタペストリーが壁を飾っている。天井は皆低かった。開放的でないのは北国らしく暖を取るために違いない。イギリス人が多用する色合いは深みのある赤、緑、茶色だが、続く部屋はあまねくそれらでみたされている。まるで晩秋を閉じ込めた館のようだ。(訪れたのは折しも秋だったけれど)
真紅の絨毯が敷き詰められたグレートギャラリーはスコットランド人の叙勲が行われるところだ。あのショーン・コネリーもここでその栄誉を得たに違いない。俳優になる以前はエディンバラで牛乳配達をやっていたという。しばらく執務用の部屋が続いた後、天蓋付きのベッドに花柄の椅子が置かれた愛らしい空間が現れた。悲劇の女王メアリー・スチュアートの部屋だった。
15世紀スコットランドの華麗なヒロインは一度はフランスに嫁いだけれど夫の病死で帰郷、いとこのダーンリ卿と再婚する。すぐに不仲となって間男のイタリア人リッチオと仲睦まじくするも、嫉妬に狂った夫が彼を惨殺する。その夫も殺された後スコットランドを追われイングランドに逃げる。これが運の尽きか幽閉の後エリザベス一世に斬首されてしまうのだった。
ホリールード宮殿にはまさにメアリー女王が恋人と暮らした部屋と日用品、髪の毛に至るまでが展示されている。食器などにまざって裁縫道具をみかけると、女性としての暮らしぶりが偲ばれて切ない。時を経てなお波乱の人生が生々しく迫ってくるようだった。
ロイヤルアパートメントをひととおり見学すると外へ出た。そこにはもう一つの観光の目玉でもある、修道院の美しき廃墟があった。12世紀にデヴィッド1世により建設され歴代の王の戴冠式に使われたが、16世紀から17世紀にかけての破壊や略奪で廃墟と化してしまった。しかし屋根の崩落と残った部分の絶妙なバランスは、見る者にロマンチックな感動を呼びおこす。かのメンデルスゾーンもこの修道院をモチーフに作曲したほどだった。折しも蜂の巣のように残った石造りの窓枠の彼方には、ステンドグラスに変わって赤や黄色や緑に色づいた木々の葉が覗いている。見とれていると、かつて屋根のあった三角の突端の紋章のような部分に、フォース湾からやってきたと思しきカモメが羽を休めに来た。青空を背景にまるで初めからデザインされた舞台装置のような美しさだった。
修道院から庭へ続く小道に沿って歩けば、ぐるりと宮殿の庭をめぐるコースになっている。崩れ落ちた修道院を出て大きく回りこめば見事な廃墟の全貌を鑑賞できた。まだ青く伸びた芝生に黒と白と青の羽を持つ鳥が散歩している。観光客は遠目に女性の二人連れがいるだけで何とものどかだった。手入れの行き届いた芝生のところどころに石のオブジェが点在している。(宮殿はハミルトン公、庭園の管理はハディントン伯の世襲制)また幾本かの形の良い大木がオレンジや黄色の鮮やかな秋の色に染まっている。さらに小道を右に進むと彼方に緩やかな丘の稜線が連なっていた。そして再び視界が開け休火山の丘ソールズベリークラッグスが現れた。宮殿の入口まで戻ってきたのだ。
観光コースの終わりには売店、トイレ、カフェが用意されていた。売店で宮殿のカタログと王室の紋章が入った黒い傘にボールペンを買う。2012は女王即位60年のダイヤモンドジュビリーだったので、記念のゴールドメダルも追加した。(むろんレプリカ)それから遅い昼食を取ろうと別棟のカフェに向かった。
セルフサービスのカウンターでスコーンとサンドイッチの包みを取り、コーヒーを注文する。トレーを持って奥の部屋に入ると広々とした空間があった。最近出来たものらしい白木の椅子とテーブルが並ぶ中、初老の紳士と女性の二人連れの客が座っている。サイドの赤い壁紙に30cm四方ほどのモノトーンの写真の額がぐるりと掛けられ、すっきりと好感の持てる飲食スペースだった。テーブルにはスコットランドの国花紫色のアザミ(thistle)が一輪、これは近くで見るとなんだかトゲトゲしいものだ。
食べ物は選択を誤ったようだった。スコーンはそれだけではパサパサして味気なく、サンドイッチも物足りなさを感じた。何とか口に入れコーヒーを飲んでいると、正面のガラス戸の向こうに突風が吹くのが見えた。赤や黄色に色づいた葉っぱが嵐のようにいっせいに斜めに降って来て、雨粒がパラパラと落ちてくる。間髪を入れずにカフェの強力な暖房のスイッチがグォンと音を立てて入った。前のテーブルの女性客らも思わず息を呑み見入っている。季節の変わり目だった。スコットランドに冬がやってくるのだ。
帰り道はロイヤルマイルを上るのをやめて違うルートを選択する。スコットランド議会のユニークな建物の左側、ホリルードロードを真っ直ぐ行けば、ロイヤルマイルにほぼ平行なのでホテルの近くまで戻れるはずだった。左手に休火山の巨大な丘を眺めながらのワクワクする道だ。
心配した驟雨は収まっていた。少し濡れた地面を歩いて行くと、白いテントを広げたようなイベント会場らしき建物が現れた。ダイナミック・アースという、地球の歴史を展示するアトラクションで、ミレニアム開発の一環として建てられたものだった。白い屋根の向こうにソールズベリークラッグスの雄大さがはえる。さっきの驟雨で散った黄色い葉が緑の芝生に散らばっていた。
右手に見える現代建築の建物は、スペインの建築家が設計したという国会議事堂の後ろ姿だった。その並びには似たような作りと七階位の高さの近代ビルディングが続く。旧市街ロイヤルマイルの表と裏は実に対照的だ。まだ濡れている路面を鮮やかなグリーンの二階建てバスが通って行った。ゆるやかに上っているホリルード通りをさらに歩くと、両側に建物がせまり視界が狭くなる。
ほどなく目の前にトンネルが見えてきた。トンネルといっても長さはせいぜい数メートル位で、上の道を人が通っている。ずいぶん古く黒ずんでいて旧市街の歴史を感じさせた。市街地に戻ってきたので人や車の数が増えてくる。平日の夕方近くは携帯電話で話しながら歩いているサラリーマンや、半ズボンでジョギングするすがたも見られる。トンネルをくぐると右に伸びた道がロイヤルマイルに向かって急な上り坂になっていた。何処かで見た道だと思ったら、坂の上にホテルの赤い看板が見えた。方向は間違ってなかったようだ。これでいつでも宿に帰れると思うと安心し、もう少し先まで行ってみることにした。
ホリルード通りからの道を真っ直ぐ行けばいよいよ人が多くなり、やがて三角形に道が交差する広場に出た。中心に赤い電話ボックスとずんぐりした古い石造りのモニュメントがあり、ロイヤルマイルの方角へ伸びた道は右手に大きく蛇行して先が見えなかった。エディンバラに着いた夜不安に慄きながらホテルまで上ったコックバンストリートに良く似ていた。
古い建物の地上階は店舗になっているところが多く、飲食店や今風のブティックなども目に入った。左手の道も曲がりながら上っていて降りてくる人たちもいたが、もう少し先まで歩いてみる。実はスコットランド版忠犬ハチ公”グレイフライアーズ
ボビー"の像をさがしているのだ。
数メートル歩いたところで行き過ぎたことに気づく。さっきの広場こそ旧市街の昔の処刑場で名高いグラスマーケット。ボビー像のあるグレイフライアーズ教会は手前の家族連れなどが降りてくる道に違いなさそうだった。
その路地のような坂道を上って行くと、右側は教会らしき鉄柵の門とかなり草が伸びた庭があり、ほどなく開けた場所に出た。交差点の中心にお目当ての忠犬ボビーの黒い像が石造りの台座に鎮座し、母親と男の子が写真を撮っている。通りの向こう側には丸い柱を持つ現代建築があり、観光客らで賑わっていた。スコットランド博物館だった。
ボビーの像に近づくとベージュの大理石の台座に雨水が溜まっている。通りの向かいにはその名もグレイフライアーズ(托鉢修道士)ボビーと書いたパブが黒塗りの店を構えていた。日本の忠犬ハチ公は秋田犬だが、ボビーは毛足の長いスカイテリアで毛の中に隠れたタレ目が何とも愛嬌がある。ハチ公が9年間渋谷駅で主人を待っていたのに対し、ボビーは1858年の主人の死後、その墓に14年通い続けたという。男の子が母親にせかされながらもボビーにまとわりついている。どの国も同じようなほほえましい光景だった。
博物館に入るには時間が遅すぎた。二日目の今日はウィスキー博物館とホリルード宮殿の見学で手いっぱいだった。諦めてホテルまで戻ろう。ここボビーの像は三叉路になっていて、ロイヤルマイルの方向へ踵を返すと左にさっき上ってきた教会とグラスマーケットへの坂道があり、右には起伏のない大通りが真っ直ぐ伸びていた。
右の道を選ぶとやがて眼下の道に掛かる橋に出た。ここはさっきくぐったトンネルではないか?地図によるともう少し先のジョージ4世ブリッジだった。左側の橋の下に墓地が見えた。グレイフライアーズ教会のものだろう。ほどなく夕方の帰宅時間に行きかう車が増えてきた。通りの右側にスコットランド銀行の立派な建物が白地にブルーの斜めクロスの旗を掲げている。いつの間にか旧市街のビジネス街を歩いていた。
ロイヤルマイルが見えてきた。正面に市庁舎の威容があり、やっとここまで戻ってきたのだ。と、目の前に雪だるまのイラストの立て看板があり、ホテルミッソーニの文字が。ははあ、ここがタータンとデザイナーズブランドのコラボで評判のデザインホテルか。観光を終えた家族連れが入っていく。こちらは看板を写真におさめると、もう目と鼻の先のホテルへ帰ることにした。
Lee's Essay(エッセイ)
ー2012ースコットランド紀行