4日目:エピローグ

Lee's Essay
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   チェックアウトを済ませると急な坂をスーツケースを転がしながら下る。ロイヤルマイルの中間にあったビジネスホテルは清潔便利で個人旅行には申し分なかった。

「I’ll come again!」

受付の女の子にそう言ったものの観光のメインの城と宮殿は見てしまったのだ。スコットランドの歴史や絵画の豊富な博物館や美術館などもあるけれど、今度来るときは街そのものをゆっくり味わいたいと思う。これほど落ち着いた気持ちに満たされたヨーロッパの街は初めてだったから。


 
   激しく曲がりくねった石畳のコックバンストリートをゴロゴロとスーツケースで下るのは至難の技だ。オッとと先走る荷物を御しながら周りを見ると、意外に今風の若者や白人以外が多い。3日前に到着したのは夜間だったため閉店間際の飲食店の中以外に人通りは少なかった。通りから人一人通れるほどの薄暗い階段がいくつも下の路地に落ちこんていて、旧市街の凄みを感じたものだ。今朝は明るい坂を下りきるとウェイバリーブリッジがフラットな新市街に向かって伸びている。その下のかつて湖だった谷間が駅になっていた。エアリンクという2階建バスは橋上の停留所でUターンして空港へ向かう。自分はロンドン行きの特急に乗るためウェイバリー駅へとさらに下りていった。 

   たった三泊の滞在だったけれど、すっかりエディンバラの魅力に去り難くなっている自分がいた。理由は起伏にとんだ類まれな地形に依るところが大きい。これほど特異な街並があるだろうか。洋の東西を問わず都市は、河川または海沿いの水運に便利な平地に発生するものと思っていた。一方で地中海地方に見られる、防衛上高台に作られた鷲ノ巣村のような形態も多い。エディンバラは一見するとそのいずれでもなかった。

    今でも目に浮かぶのは街一番の景勝地、エディンバラ城からの眺めだ。(新市街にはカールトン・ヒルという高台の公園もあるが今回は寄らなかった。)背後にアーサーズシートら死火山の丘を従え起伏に富んだ旧市街。中心を貫くメインストリートのロイヤルマイルの上端はエディンバラ城、下端にホリールード宮殿。城塞の崖下は大きく落ち込み、かつて湖だった谷間にウェイバリー駅。谷間を越えた平地には新市街が、彼方に見えるフォース湾まで続いていた。世界遺産の街並だった。


   初めてこの景色を城から臨んだ時は、まるで大地に色とりどりの地層があるように見えた。見とれていると、それまでどんよりと暗く雨模様だった雲の切れ間より、フォース湾の方から一筋の光が差したかと思うと、街全体が後光に包まれていった。荷物の紛失も忘れてあたかも祝福されているような気持ちになったものだ。"Four seasons in one day”スコットランドは一日のうちに四季があるほど天気の移り変わりが激しいと後で知った。

    フォース湾はフィヨルドの名残りで陸地に向かって大きく食い込んでいる。坂の上のロイヤルマイルを歩きながら、遠目に灰青色の大河が横たわっているようで不思議な気分になった。港までの距離はあるけれどエディンバラはフォース湾ゆえに作られた街に違いなかった。おかげで生牡蠣をはじめこの上なく新鮮な海の幸に舌鼓を打つことができたのだ。


(死火山の丘アーサーズシート)

    地図で見るとブリテン島の上半分のスコットランド地方は、斜めにハサミで切込みを無数に入れたように見える。氷河時代の名残りで湾が食い込み、その先が河川や湖になっているのだ。恐竜騒動で有名なネス湖もその一つで、北海と繋がっているとすれば海の巨大生物の可能性もあるのかもしれない。北部のハイランド地方はその名の通り山がちである。高い樹木の無い丸くこんもりとした巨大な丘のような山々だ。

    19世紀のヴィクトリア女王はスコットランドがことのほかお気に入りで、ドイツ人の夫君と共にハイランドの都市アバディーンからディー川を遡る地にバルモラル城を購入。現在も王室の離宮として使われている。

「愛しい愛しいハイランド地方と比べると、イングランドは平板に見えてしまうわ」

大英帝国の女王も魅せられた地形だったようだ。




  ロンドンまでは鉄道を使う。ウェイバリーブリッジから工事中の狭い仮の通路を右に入ると駅の構内だった。おととい切符を受け取りに来たヴィクトリア時代のホールに向かう。高い天井は丸いガラスと鉄骨の19世紀様式で、待合に朝の柔らかな光が注いでいた。石造りのクラシックなホールにも壁際に列車の到着発着の時刻を表示する電光掲示板がある。早目に来たので10時30分のロンドン行きまでだいぶ間があった。ホールの真ん中にCOSTAという売店があるけれど閉まっている。ひとまずトイレに行こうと案内に沿って通路へ向かう。案の定有料だ。30ペンス分の硬貨を入れると回転バーが動いて中に入れる仕組みになっている。日本人の感覚には悔しいけれどやむなくルールに従った。

    用を足してからホールを出てホームを確認する。2番線はやはり一番端でかなり歩かねばならなかった。もしかしてロンドン行きはマイナー路線なのだろうか。それを裏付けるように中央のスコットランドの各地方へ向かう路線ホームは、かなりの人で賑わっていた。4時間を超える乗車時間を避けて飛行機で移動する方が多いようだった。


    ホームの片隅にある売店で人にもまれながらコーヒーを買う。待合ホールに戻り椅子に腰掛けると少し落ち着いた。周りには到着する列車あるいは人を待ちながら静かに人々が座っていた。、古く美しいけれど薄暗いホールに似つかわしい光景だった。円天井の真下の閉店中の売店を取り囲むように、待合の椅子も四角く配置されていた。自分の肩にかけたバッグが四角くふくらんでいるのはウイスキーのミニボトルセットのお土産のためだ。シングルモルトのウイスキーもまたスコットランドにて開眼された世界だった。

   
 酒に弱い身にとって40度以上もあるウイスキーは、渋い中年男性の好むおよそ縁遠い酒だった。それがスコッチウイスキーエクスペリエンスでのボトルの数と美しさにまず圧倒され、地方により個性豊かな味わいに感激した。また帰国してから試飲してみて発見したことがたくさんあった。


   エディンバラ城で買ったミニボトルのラベルは黒地に金のライオンをあしらったクールなデザインだった。それゆえ強い中身を想像しながら蓋を開けると、甘くかぐわしい香りが鼻に飛び込んできてびっくりした。ラベルにはスペイサイドとあるから、博物館でレクチャーを受けた4つの地方のうちバナナの絵で例えられたフレイバーにあたる。かなり濃厚でバニラやレーズンを煮詰めた様な香りだ。それでいて品格と華やかさがあり、エディンバラ城の銘柄に恥じない趣があった。一口試飲すると、味はあくまで苦味を含んだウイスキーのものだが、馥郁たる風味が喉を通り抜ける。ガイド本にあるように確かにチョコレートが合いそうな味だった。

    スコッチウイスキーエクスペリエンスではそれぞれの地方を代表するシングルモルトのミニボトルセットを買った。肩にかけたバッグに入っているのがそれだった。帰国してから右端の緑の瓶のアードベックを口にした途端ゴホッ、と思わずむせた。スモーキーな風味が特徴のアイラ島特産だがそれにしても…屈強な荒くれ者が樽に詰めた密造酒で酒盛りする光景が目に浮かぶようである。

   ボトムラベルには田舎の醸造所の絵がパステル画のようなタッチで描かれているのもあって、何とも素朴で可愛らしい。そんなラベルのエドゥラダワーはハードとマイルドの中間くらいでコクもあり自分には最も好ましかった。スコットランドにはさまざまな銘柄のシングルモルトの醸造所が点在している。約100年前に竹鶴政孝がこの地で作り方を学び、日本にウイスキーの製法をもたらしたのだ。一本の万年筆で丹念にノートをとり帰国後サントリーに伝授、自身も北海道にニッカウィスキーを立ち上げたパイオニアだった。2014下半期のNHKの朝のドラマ「まっさん」はスコットランド女性を妻に迎え帰国した彼をモデルにしたものである。








   そろそろ電車の時刻が近づいたので、待合ホールを出てホームへ向かう。スーツケースとともに一番端の2番ホームにたどり着くと、すでに大勢の人がロンドン行き特急の到着を待っていた。駅員に切符を見せ車両の位置を確認する。(エディンバラは始発駅じゃないんだ…)始めての英国鉄道の旅に期待がふくらんでいるものの、一抹の不安がよぎる。果たしてEAST COASTと車体に書かれた薄汚れた列車が到着すると少しがっかりした。おまけにホームと車体の間が一歩分ほども離れていて、エイやっとスーツケースを持ち上げて乗り込んだ。

    座席のある二等車両はほぼ満員だった。指定席なのでよもやと思ったけれど、進行方向右側の2人席の通路側に自分の席はあった。隣の窓際はアジア系の女性だったが、厚みのあるサングラスのせいで年齢がよくわからない。やっと席に落ち着くと通路の左側には向かい合った四人席に太りぎみの若者3人が(内1人は女性)缶ビールで盛り上がり、怪しげな中年男性がラップトップとにらめっこしている。ここに来てやっと二等席の実体がわかってきた。

 


    ウェイバリー駅を出ると右手には草原が広がり、頭一つ向こうの窓から羊が見えないかと目を凝らした。しばらくすると今度は通路を隔てた進行方向左手に、一度見たいと思っていた北海が視界に現れてきた。デジタルカメラのズームを四人客を飛び越えて窓の外に合わせると、なんとかシャッターを切る。ロンドンまでは4時間超の長旅だ。ニューカッスルを過ぎ乗客が入れ替わりに入ってくると、ラップトップの中年男性は求められるままにそそくさと席を移動していった。

 


 2014秋にイングランドからの独立を問う住民投票を控えているスコットランド。今度来るときは本当に独立国になって、通貨が変わりパスポートを求められるかもしれない。それでも今度の旅でエディンバラに感じた思慕は色あせることがないだろう。車窓から草原の緑と北海のブルーグレーに彩られた大地が、次第に背後へ遠ざかっていく。


 (
2014.08.29)


※去る2014年9月18日、スコットランド独立の賛否を問う住民投票が行われ結局否決された。直前に賛成派が勢いを増しあわや独立かという土壇場で、イングランドが慌てて説得にまわる一幕は見応えがあった。世界の上位にある英国にして大規模な独立運動が起こるとは、久々にスリリングなニュースだった。




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ー2012ースコットランド紀行