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大通りからカンボン(Cambon)という小さな通りに入るとシャネルの本店があり、ココ・シャネルが晩年を暮らしたホテル・リッツの入口はヴァンドーム広場に面しています。ルイ14世のために作られ、ナポレオンが建てた円柱がそびえる豪華でシックな広場。名だたる宝飾店が軒をならべている様は思わずためいきがもれそう。
(2014.09)
【No.10 ヴァンドーム広場】

マドレーヌ寺院から東へ向かって大通(Boulvard)がのびています。この通りはカプシーヌ、イタリアン、モンマルトルなど次々と名を変えながらレプブリック広場までつながっていく長さ。19世紀は歓楽街として榮え、現在もオペラ座をはじめ大変にぎやかな界隈です。
5月の末に前を通った時には入口にたくさんの花が飾られ春の祈りにあふれていました。内部には地元のマダムがボランティアで給仕する食堂(Foyer de la Madeleine:フォワイエ・ドゥ・ラ・マドレーヌ)もあるとか。今度はぜひゆっくり見学したいと思います。
(2014.08)
【No. マドレーヌ寺院】

コンコルド広場から北へ向かってホテルクリヨンと
旧海軍省の間の通りをゆけば、ほどなくギリシャ神殿を思わせる巨大な寺院があらわれます。18世紀ルイ15世の快気祝いに着工されたもののとん挫し、完成は19世紀ナポレオンの命によってでした。近隣のエリゼ宮の大統領もここの教区民になります。
美術館を出て目の前に広がるのはコンコルド広場。アントワネットがギロチンの露と消えた所は、オベリスクや噴水とともに偉大な歴史の舞台にふさわしいスケールです。(2014.05)
【No. オランジュリー美術館からコンコルド広場】

チェイルリー公園をピラミッドと反対方向にすすむと大きな池にたどりつきます。左手の傾斜をのぼった先にある建物は、モネの”睡蓮”が有名なオランジュリー美術館。晩年は白内障に苦しみながらも、完成後の展示を約束され期待以上の傑作をおさめました。日本の影響も色濃い壁一面にひろがる絵画は、見る者を水の中に誘うよう。
ライオン門から入ろうとした日は開館が30分遅れ、時間つぶしにチュイルリー公園へ向かいました。そこでベルサイユ宮殿の庭で有名な17世紀の造園家、アンドレ・ル・ノートルの作庭をみることができたのです。植物の幾何学的なアレンジは好みがわかれるところですが、丸や四角に整えられた庭樹はなんともユニークな味わい。
(2014.03)
【No.7 ルーブル宮②】

ルーブル美術館に入るべくガラスのピラミッドへ向かえば、長蛇の列にならぶ確率は極めて高いと思われます。アジア・アフリカ美術の入口ライオン門(ポルト・デ・リオン)からなら、そんな心配はありません。ただし有名な西洋美術がお目当てなら、内部をえんえんと歩かなければなりませんが・・・
エッフェル塔は通信技術の発達とともに受け入れられ、20世紀のパリの象徴となりました。かたやピラミッドは21世紀どんな位置づけになるのでしょう。ナポレオンホールの長蛇の列をみると、観光客を招き入れる効果は絶大であるようです。
(2014.02)
【No. ルーブル宮①】

ルーブル美術館の入り口にガラスのピラミッドを設置したのは、1981年就任のミッテラン大統領でした。地下のエントランスホールに十分な採光を得るため、大胆な設計が取り入れられたのです。歴史的建造物のルーブル宮に斬新なデザインは、19世紀末エッフェル塔が出来た時のように、激しい抵抗と批判にさらされました。
一方前述の中庭ではフランス人がペタンクに興じる姿が・・・ペタンクといえば南仏でおじいさんが遊んでいるイメージがありましたが、私が見たのはまだ30手前のパリ男子たち!”メルシィ、テオ~”などとはしゃいでいましたっけ(笑)本当にパリはいろいろな表情があるな~
(2013.11)
【No. パレ・ロワイヤル②】

クラシックな回廊に囲まれた中庭の先には、モダンな広場が続いています。ダニエル・ビュレン作黒白ストライプの円柱のオブジェは有名ですが、下の写真はポル・ビュリィ作の球体オブジェ。こちらは噴水のように水が流れていました。伝統とモダンが共存する光景はパリの一つの特徴でもあります。
現在中庭は心和む公園となり市民の憩いの場。周囲の回廊にはアンティークの衣装や勲章のお店、資生堂も見かけました。秋に訪れた時は花嫁が噴水をバックに写真を撮る光景も。
幼年期をここで過ごしたルイ14世が池におぼれかけ、側近に助けられたこともあったとか。エマニュエルも犬ながら大物になる兆しかもしれません・・・なわけないか(笑)
(2013.10)
【No.4 パレ・ロワイヤル①】

ブルス広場を抜け旧国立図書館にそってヴィヴィエンヌ通りを進みます。突き当りの石段を降り両側にお店がある通路の先に、突然立派な中庭があらわれます。パレ・ロワイヤル(Palais Royal)は17世紀の枢機卿リシュリューから王家に贈られた由緒ある建物。革命の時は重要なアジテーションの舞台になる一方、歓楽街として名を馳せ、数奇な運命をたどった場所です。
このブルス広場にもささやかなマルシェ(市場)がたちます。2010年当時は金曜日のお昼。パンに果物、クレープの焼けるおいしそうな匂いが漂うと、近隣の勤め人たちも軽食を求めて行列をつくっていました。私も熱々のとろけるチーズのクレープと、卵の味がしっかりついたカスタードタルトを賞味したのです。
(2013.08)
【No.3 旧・証券取引所(ブルス)】

2区のパサージュ・パノラマ(Panoramas)を南へ抜け少し歩くと、急に広場がひらけてコリント式円柱の堂々とした建物が現れます。1世紀以上パリの証券取引所として使われていました。(株式仲買人だったゴーギャンも通っていたとか)現在はIT関連企業などが入っているそうです。刺繍学校へ通う道すがらほれぼれと仰ぎ見るのが常でした。

 
Waltz for Florence♪
リュネビル(Lunéville)刺繍はかぎ針(crochet)を使ってスパンコール(あちらではパイエット(paillette)といいます)やビーズ(perle)などを留めていくもので、作品はためいきの出る美しさ。そして忘れられないのが名物講師のマダム・フロランスでした。いかにもパリっぽいエキセントリックなキャラクターはLee's Diary vol.23から登場。幼少時の姿は左の漫画になりました。ご本人が見たら何とおっしゃるでしょうか・・・
(2013.05)
【No.2 エコール ルサージュ】

エコール ルサージュ(Lesage)は知る人ぞ知る有名な刺繍学校です。世界中の女子がパリに滞在しここの短期コースを数日から数カ月かけて習いに来ます。生徒は各年代に渡り目的は趣味や仕事など様々。修了し帰国するとnaccoさんのようにネット販売や教室を開く方が幾人もいらっしゃいます。
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ある日カフェの椅子に白いペルシャ猫がちょこんと座り、パサージュを行く人達の人気を集めていました。思わず携帯で写真を撮ろうとしたらタッチの差で逃げられ、写っていたのは赤い椅子だけ・・・さすがはパリの猫なのでした。
(2013.04)
【No.1 パサージュのカフェ】

刺繍学校のある9区と隣の2区はパサージュ(19世紀に作られた天井がガラス張りのアーケード)がたくさんあります。そのうちのひとつ”ジュフロア”(Jouffroy)の入口にあるカフェ”ゼフィル”(Zéphyr)で授業の前に
ミルク入りカフェ:ノワゼットを飲むのが楽しみでした。まろやかな味は絶品!1区の名店”ヴェルレ”(Verlet)でも試したけれど、コクは同じ程でも酸味がやや強く”ゼフィル”の方が好みでした。(刺繍作家naccoさんも舌鼓)



パリの思い出 Mémoire de Paris