スーツケースが見つかり部屋に戻ると、既に2時をまわっていた。予定ではホリルード宮殿に行くつもりだったがさすがに疲れ、部屋でしばし休憩を取る。その間荷物を広げて衣類の整理やスマートフォンの充電やらをおこなった。
シングルの部屋は清潔で充分に広く、4階の窓からはいかにも英国風の煉瓦造りの建物が見える。通りと反対側なのでとても静かだった。ここに一週間くらい滞在してもいいな。絶景や観光名所などは見えなくても構わない。ゆったりとした時の流れこそ自分の求めるものだと思った。
しばらくカフェやタータンチェックなどの土産物屋が続く。少女のシルエットをかたどった、ヨーロッパによくある軒下の可愛らしい看板が楽しい。さらに下って博物館や中学校のあるあたりでは、地元の人やサラリーマンの姿が多くなってきた。地図によれば宮殿の手前にスコットランド議会があるようだ。
ロイヤルマイルを降り切った右の角に議会はあった。建物は変わったデザインだった。外壁がぐるりとカーブを描いているのは、なかに議会ホールがあると想像出来た。特徴的なのは入口で、大きく張り出した軒の下から木の枝のような棒がたくさん伸びている。現代風のメタリックとも違う。スマートなスーツ姿の男性がなかに入っていく。自分は通りを渡ってホリルード宮殿に向かった。
宮殿の入口の右手に大きくクイーンズギャラリーと書かれた建物がある。旅サイトの口コミで、こちらから見学するのがおすすめとあったので入ってみる。受付の女性に共通の入場券を求めると、宮殿は閉館30分前を切ったので入場できず、ギャラリーのみ可能と言われた。どうしますかという表情の彼女に、少し迷いながらもまた来ると伝え外にでた。
時刻は4時半を過ぎあたりは夕方の気配が漂っていた。ゆっくりしすぎちゃったな…,。鉄格子の外から宮殿の華麗な塔を拝みため息をつく。後ろをふりむくと、スコットランド議会の向こうに雄大な丘が夕陽を受けオレンジ色に輝いていた。この地方はアーサーズシートをはじめとする死火山の丘が沢山ある。これもその一つでソールズベリー・クラッグスという。宮殿と議会のあいだから望む雄大な風景に思わずシャッターを切った。
宮殿観光は明日にまわし、新市街に足をのばそう。道端でエディンバラ城で買った手のひらサイズの折りたたみ地図を開いた。ロイヤルマイルの終点の三叉路から北にのびた狭い道に入ってみる。急に観光色は薄れ日常の住居や駐車スペースが続く。右手の高台は後で墓地と知った。左もロイヤルマイルの坂に挟まれかつ蛇行しているので見通しがきかない。ゆるやかな登り坂をしばらく進むと大きなトンネルが現れた。
トンネルをくぐり傾斜を上がると、周囲は繁華街に変わった。駅の近くに出たのだ。この辺りは城下の湖を埋め立てて出来た土地でいわば谷間にあたる。エディンバラ城のカタログにはまだ湖だった時代ののどかな絵が載っていた。スーツ姿のサラリーマンがちらほら見える。道を左におれると、夕方の人混みにあふれる大通りに出た。
プリンセズストリートは片側2車線ずつあったが、あちこち工事中で雑然としている。反対側にはロイヤルブリティッシュホテルが見えた。家路を急ぐ人混みにもまれつつ駅前に辿りつくと、左にバルモラルホテル、前方にスコットモニュメントの威容が現れた。
ホテルというより城のようなそれは、てっぺんにシンボルの時計塔を頂いていた。眼下の駅を利用する旅人が列車に乗り遅れないよう、長針を3分進めているそうだ。ホテルの正門前は広場で、地下のショッピングセンターの入口がある。開けた空間から今しがた通ってきた宮殿の方角にソールズベリー・クラッグスが見えた。丘陵とホテルが折しも夕陽にオレンジに染まるなか、空には白い月がぽっかりと浮かんでいる。幻想的な風景に魅了され、人混みにもまれつつ写真を撮り続けた。
広場から夕陽の方角に目をやれば、手前谷間の公園を越えて、岩石の丘の頂にエディンバラ城があった。逆光に黒く光りやや凄まじい。あたりには数人ばかり作り付けのベンチに座っている。絶景に舞い上がる観光者の自分をよそに、ぼんやりとこの日の仕事の疲れを癒やしているようだ。
プリンセズストリートに戻り、再び帰宅の波にもまれる。しかし目の前にそびえる
目抜き通りを渡って新市街の街に入った。すぐ角に老舗デパートのジェンナーズがある。映画"イリュージョニスト"では離島の宿屋で働いていた女の子が、落ちぶれたマジシャンについてエディンバラまでやってくる。貧しさは変わらず、ショーウィンドウのドレスをうっとり眺めたりしている。そんな街歩きのうちにのぞいたデパートがここだった。(1950年代当時は流行の先端だっただろう)
入ってみると映画と同じく吹き抜けが上階まで広がる。早くもクリスマスのディスプレイらしい、キラキラした飾りが幾つも垂れ下がっていた。地上階には今時のブランドの代わりに地産のウールなどの衣料品が並び、どことなくクラシックな印象だ。
実は化粧室を探していた。一人乗りのいかにも古そうなエスカレーターを見つけ上階へ。吹き抜けを上がっていくに連れ眺めはいいが、目的の場所は見当たらない。平日の夕方はお客も少なく閑散としていた。女性店員が忙しくしているインテリア売り場で降りると、その中の年配の一人に聞いてみた。まわりの店員はアラ何かしらという表情を見せたが、彼女は落ち着いて教えてくれる。
目指す場所はさらに上の階だった。上りのエスカレーターに乗ると、吹き抜けは終わり食料品スーパーのフロアに出た。大抵は地下か一階にある日本とは逆だ。デパートにしては庶民的な感じで、下の階に比べ夕方のお客で賑わっている。教わったように売り場を抜け渡り廊下を進むと、その先にレストルームがあった。
鏡に囲まれた化粧室は清潔ですいている。ときおり人が入ってくるので、物騒な心配は無かった。姿見にうつるユニクロのダウンベストを着た自分を見ると、つくづく異国でも変わらないなと感じる。ジェンナーズには申し訳ないけれど、用を済ませただけで再び夕刻の街へと急いだ。
デパートの裏手から外に出ると、プリンセズストリートの彼方夕刻の光に、スコットモニュメントが輝いて見えた。反対方向に目をやると、緑のある広場にエンピツのようなモニュメントが見える。その先のフォース湾へはやや上りになってから下っているらしく、まるで丘の頂上のようだ。この土地は変化に富んでいるな。ところどころの起伏の多さが、さして広くない街の風景をドラマチックに演出していた。
繁華街の横丁に入って、口コミで評判のシーフードレストランを探す。何気なく入った路地がローズ通りとあり、目指す店のあるところだった。歩行者専用で石畳の路地に飲食店が連なる。ようやく日も沈みぼつぼつ人も増えてきた。少し歩くと右側に青い看板を掲げたレストランが見つかった。ガラス越しにメニューが飾ってあって、一品料理も手頃な値段だ。すでに半分程席が埋まっていた。
せっかく新市街に来たので、夕食の前に買い物をしようと思い直す。ローズ通りを左に折れ再びプリンセズ通りへ向かった。陽は沈み夜のメインストリートは観光客の姿が目立つ。向こうの崖の上には、ライトアップされたエディンバラ城が見えた。カラフルな二階建てバスがひっきりなしに通り、ここもイギリスだなと改めて思う。
時刻は6時過ぎ。表通りのブランド店はそろそろ店じまいの気配だ。目指す店はカジュアルシューズのクラークス。夜のとばりが下りたプリンセズ通りを少し歩くと、右側に円柱のある立派な建物が見えた。スコットランド美術館に違いない。こちらもライトアップされて堂々とした佇まいだ。程なく左に目的の靴店が見つかった。
1階はほとんど客がいない。 レディース用は2階らしく入ってすぐのエスカレーターに乗る。さすがに女性客で賑わっていた。手頃なウォーキングシューズを物色する。日本でもここのドライビングシューズを愛用しているが、クラークスはデザートブーツが有名なのであれこれ目移りする。
黒のフラットシューズにも惹かれたけれとやっぱりブーツ。キャメルのスエードの紐付きタイプを手に取るととても軽い。試した後求めると、満足してさっきのレストランに向かった。
夕食どきになりぼちぼち席も埋まってきた。壁際の2人席に座ると、さっそく口コミでチェックしていた生牡蠣とチャウダーを頼む。
フォース湾の港に近いエディンバラは新鮮な海の幸が食べられるので期待に胸躍る。しかしテーブルにはバスケットに入ったフランスパンがまず置かれた。まるでパリのようだ。そういえばイングランドと争いを繰り返していたスコットランドは、フランスと手を組んだ歴史もあったのだ。影響は食事にも表れているようだ。
美味しいパンを食べていたらチャウダー、そして生牡蠣半ダースがサーブされた。ボールにつがれたチャウダーはアサリの旨味と人参、ジャガイモがたっぷりの逸品。生牡蠣は新鮮この上なし。
「ハウズ チャウダー?」
キュートなウェイトレスが声を掛ける。これだけでもおなかがふくれてきたところへ、メインの白身魚のムニエルが運ばれてきた。美味しいけれどやっとの思いで平らげる。
店を出ると、心地よい夜風にふかれながらウェイバリー駅を目指す。明後日のロンドン行きの切符を入手するためだった。駅は前述のように道路より低い位置にあるので降り口を探す。夜道で暗い上あちこち工事中で歩きにくい。坂になっている通路を下ると、いきなりホームが並んでいた。一角には小さなカフェがまだあいていて、中年紳士がくつろいでいた。誘惑にかられるが、ガイド本にあった円天井の待合ホールを探すのが先だ。周り回ってクラシックで重厚な石造りのスペースにたどり着いた。
発券機はどこだろう?インターネットで予約した代理店からの連絡フォームには、予約番号を入力して特急券及び乗車券を受け取る方法が記載されていた。四角い待合ホールの一辺はガラス扉でその先にカウンターがある。カウンターの脇には券売機と思われる機械が数台並んでいた。扉を開けて機械に向かい指示された番号を入力すると、バラバラっと三枚のカードが受け取り口に落ちてきた。三枚も⁇確認すると乗車券に座席の書かれた特急券、最後の一枚は領収書にあたるものだった。
用事が済んだので何処かで一服しよう。さっきのホーム脇のカフェはすでに店じまいしていた。仕方なくホテル方向へ戻ることにする。昨日到着した時と同じく急な登り坂のコックバンストリートを登る。あいかわらず暗い上に蛇行して見通しが悪い。登りきると再びホテルの赤いネオンが見えた。
このまま部屋に帰るのも惜しい。角のスターバックスに入ろうか。
一昨年パリのオペラ大通りのスタバには、メニューにフレンチトーストがあった。英国風はいかがなものだろう。暖かいカフェモカを頼むと、ディズニー映画に出てきそうな小太りの店員が嬉しそうにホイップクリームをのっけてくれた。ちょっと楽しくなって、二階席へ上がる。こげ茶色のクラシックな作りはイギリスらしい落ち着いたインテリアだった。高い天井とほの暗い照明がとてもくつろげる。
窓際の円テーブルに座るとロイヤルマイルが見えた。夜の石畳は風情があったが、ちょうど真下がゴミの集積所で回収車が止まっている。横の席では若い女性が、何やら自身の演劇経験を熱く語っていた。やれやれ。これでエディンバラ観光の一日目が終わったのである。
Lee's Essay(エッセイ)
ー2012ースコットランド紀行