千葉県北西部は戦後の新興住宅地としてずいぶん開けたけれど、よく見ると古くは貝塚、城趾に古戦場、牧場に野馬土手などの名残りがいたるところにあった。旧水戸街道を通ると、昔の人が道中休憩したようなところに庚申塚や神社がたっていて、車で通るのはいつもそぐわない気がした。角地に残ったわずかな竹林が風に揺れるのを感じる度、土地本来の時間を刻んでいるのはそちらの方に違いないと思ったりする。



 車の運転を始めて少し遠出をするようになると、初めて通る道も多かった。ある時ショッピングセンターへ向かう途中に、奇妙に曲がりくねった道路にはまったことがある。住宅街を少し出るとだいたいはすぐ人家が途切れる。しかし昨今あちこちで新しい道路を建設しているから、ここもそんな道の一つだろうとかまわず進んでいった。

  果たして人家は現れず、細い道の両側からどんどん背の高い雑草がかぶさるようにおい繁ってきた。新しい道路だとすれば細い田舎道のような箇所を過ぎた先に、幹線道路に合流する気配があるものだ。けれどその道は合流どころか、どこまでも頑固に一つの方向を目指して続いていくように思われた。

 こんな時カーナビゲーターはほとんど役に立たない。田舎道は目印となる建物が少ないから、地図がのっぺりと色分けされているにすぎない。道を決めて進んでも方向違いだったりすると、例の硬質な女性の声で「この角を左です」「左です」といやというほど連呼されてしまうのだ。

   

 気がつくとあたりは自分の車と砂利道と、枯れた背の高い雑草しか見えなくなっていた。両側は田んぼか畑のようで、低く落ち込んでいる平らな土地に道だけが尾根のように高台を成している。まるで延々と平均台の上を歩いている錯覚にとらわれた。時折枯れ草の間から、刈入れの済んだ田畑の様子が見えた。

 季節は初冬だった。車一台ぶんしかない幅の道を自分の車だけが進んで行く。枯れ草の壁の中の進軍はどこまでも孤独だった。昔は馬に荷物を引かせて歩いていたのだろうか。テレビの水戸黄門に出てくるようなのどかな風景を思い出した。




 ワオン!どこからか犬が吠えた。めったに車が通らないから驚いたんだろう。しかし不安なのはこっちの方だ。もうそろそろ人家が見えるか普通の舗装道路になっても良さそうなのに、いっこうその気配が無い。相変わらず車一台分の埃っぽい砂利道と、両側の枯れ草の壁が続くばかりだった。

 ふと見ると50メートルほど前方に、巨大な松ぼっくりのようなものが見えた。薄汚れたこげ茶色で高さは1メートルくらい。頭の部分はとんがって、どんぐりのお化けのようにも見える。訝しんでいると、それはブルブルと小刻みに震え始めた。

 不可解なオブジェのある道端に古い木造の民家があった。軒下のホウロウの看板には「塩」と一文字、青地に白抜きで書いてある。昭和の香り濃いよろず屋だろう。車が近ずくとところどころ壁土が崩れ、木の骨組みがむき出しになっているのが見えた。閉店して以来かなりの年月を感じさせた。

 

 少し休憩しようと車のエンジンを切る。例のオブジェはもう目の前にあった。

 長いあいだの煤の汚れが全体にこびりついている。こげ茶色の木の実のお化けかと思ったら、本体はセルロイドのマスコットだった。よく見ると汚れの奥に愛嬌のある眼が大きく開いている。どんぐりのように見えた頭部は三角帽子で、童話の小人なようなキャラクターらしかった。

 高度成長を誇った昭和30年代には、店先に子供の背丈くらいのマスコットを多く見かけた。不二家のペコちゃんや薬屋のオレンジの象のサトちゃんなどだ。通りすがりに子供がポンとたたくとグラグラ揺れて反応したものだった。このマスコットもちょうど折からの乾いた冬の風に揺れているのだ。

 枯れ草の壁紙の向こうに二三軒人家の屋根が見える。昔は味噌や醤油、洗剤などの生活雑貨をこの店で買っていたのかもしれない。当時は個人商店に寄れば世間話に咲かせて、買い物は二の次だったに違いない。集落は皆顔馴染みで家族の人数も多く、子供の黄色い声があたりに飛び交っていただろう。





 そんなことを思いながら、再びエンジンをかけた。車はゆるゆると、歩く速さといくらも変わらないスピードで進み始めた。こんなのどかな場所で飛ばす気にはなれないかったが、いい加減抜けられる方向を探さなければ。

 さっきの店から100メートルほど過ぎたところだった。車は20キロほどの速さで走っていたが、丈の高い枯れ草のほうに人らしき気配を感じた。そうはいっても姿は見えなかったから、あまり気にも止めず通り過ぎた。しばらく行くとまた同じような気配がする。今度は二、三人が何やら立ち話をしているようだった。やっぱり姿は見えない。

 

 こっちは車とはいえちょっと薄気味悪くなってきた。明らかに人の気配がする。けれど目を凝らして見ても、枯れ草と砂利道のほかは何も無い。相変わらず田畑の中を一段高いあぜ道のような道路が続いている。冬の澄んだ空気の中、空は高く青く、時折鳥の声が響いていた。


 その時、空中でパーンと鉄砲が弾けるような音がした。同時にバサバサっと鳥たちの逃げる羽音が聞こえる。あっと思う間に、ゆっくり進んでいた車がT字路に突き当たった。片側一車線ずつの道路が左右に伸びていたので、カーナビの指示に従って左に曲がる。程なく何台もの車とすれ違い、このまま行けば国道に出ることを確信した。

 さっきまで左右に海のように広がっていた田畑は遠ざかり、コンビニや住宅が徐々に増えてきた。あたりは騒音に満たされ、ドライブはすっかり現代のテンポに戻っていた。




 左手にはまだ背の高い枯れ草がガードレールのように伸びている。ミラー後方には刈入れの終った田畑が広がっていた。空気を入れようと窓を開けると、さわさわと鳴る枯れ草の音が時の流れのように続いているようだった。






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(Going on The Old Road)